
会社概要
商号
- 株式会社 華祥苑 (旧 株式会社 高本製作所)
所在地・本社

- 〒730-0813 広島県広島市中区住吉町16-20
- TEL 082-249-1683(代)FAX 082-249-1695
- E-mail : info@kashoen.jp
熊野華祥苑 紙屋町店(直営店)

〒730-0051 広島県広島市中区大手町2丁目6−1
ディアメゾン紙屋町1F
TEL 082-249-6550 FAX 082-249-6550
E-mail : info@kashoen.jp ストアページへ
熊野工房
〒731-4214
広島県安芸郡熊野町中溝4丁目21-15
会社設立(創業年)
- 平成14年4月10日 (明治16年・西暦1883年)
資本金
- 5,609万円
役 員
- 代表取締役社長・・・高本 祥子
- 取締役・・・・・・・中原 好治
- 取締役・・・・・・・高本 俊輔
取引銀行
- 三井住友銀行 三菱東京UFJ銀行 広島市信用組合 広島銀行 広島信用金庫
主要取引先(一部掲載)
広島県、広島市、広島商工会議所、三菱重工業株式会社、株式会社中国放送、広島東急イン、グランドプリンスホテル広島、グランドプリンスホテル赤坂、株式会社 ホテルグランヴィア広島、大山ロイヤルホテル、南淡路ロイヤルホテル、株式会社サクラクレパス、株式会社松風、株式会社名村大成堂、株式会社ハンディクラウン、Princeton Art & Brush Company(U.S.A)
現在相手先ブランディング保持の為、OEMメイクブラシ納入先は明記させていただいておりません。ご了承下さい。
事業内容
- ・「熊野 華祥苑」ブランドメイクブラシ製造・販売
- ・化粧、ネイル、画材、医療、精密工業業界を中心とした幅広いブラシニーズに対応した製造開発・OEM
- ・化粧品類、化粧小物、日用品雑貨の卸売、販売
- ・各種イベント、式典等の企画、施行及び仲介
沿革
明治16年(1883年) |
広島県熊野町にて創始者”髙本庄蔵”が製筆販売業を創業
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昭和 5年 |
2代目”髙本正”により洋画筆・化粧筆の製造に着手
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昭和35年 |
3代目にあたる”髙本正”の長男”髙本琢史”と次男で現社長(髙本祥子)の父でもある”髙本正浩”で「株式会社髙本製作所」を設立し、法人化とする。
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昭和35年 |
髙本正浩”により洋筆(画筆)の分野において研究開発の末、日本古来の伝統産業の筆を、現代的な製法を用いて純国産筆を開発・規格化し、グローバルスペック化を果たす。
熊野筆(化粧筆・画筆)初の海外輸出が始まる。
台湾においては画筆90%のシェアを確保する。
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昭和38年 |
広島県より輸出貢献企業に指定される。
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昭和40年代 |
熊野筆初の現代製法で造られた高級化粧筆の製造が始まる。(カネボウ化粧品と初の本格的なフェイスブラシを商品化)
欧米・欧州各国への画筆・化粧筆の直輸出が始まる。【Garrett Hewitt International,LLC・シャネル・ゲラン・オリジンズ・マックスファクター社・レブロン社・エリザベスアーデン社】
国内最大手の画材メーカーとの取引開始。
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昭和41年 |
4代目”髙本正浩”により増産に対応する為職人の伝統技術を生かした近代的な工場手生産型を編み出す。
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昭和46年 |
”髙本正浩”東レ株式会社と高品質人工毛の純国産化を目指す。
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昭和50年 |
国産初の東レナイロン毛が完成。
米国MG社・ロバート-シモンズ社・FM社と直貿易となる。
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昭和52年 |
英国 ウインザーニュートン社・欧州 ダビンチ社・オーシャン社・ザハン社・ベンーホーヘンザハン社と画筆の取引開始。
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昭和57年 |
米国 エスティーローダー カンパニーズ インクとの取引開始
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平成14年 |
「株式会社華祥苑」オリジナルブランドメイクブラシ販売会社を設立
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平成14年 |
「SHOKO」 ブランド設立
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平成14年10月 |
HBA Global EXPO in New York出展
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平成15年 |
「華祥苑」ブランド設立
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平成16年 |
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平成17年 |
「株式会社髙本製作所」の事業を継ぎ、メイクブラシ・画筆・医療ブラシ・ネイルブラシの製造販売を開始する。
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平成17年 |
プロフェッショナルシリーズ「S-pro」ブランド設立
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平成18年 |
本社ショールームオープン
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平成19年 |
beautyworld JAPAN WEST in OSAKA出展
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平成20年 |
beautyworld JAPAN 2008 in TOKYO出展
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平成20年 |
beautyworld JAPAN WEST in OSAKA出展
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平成21年 |
Gift show 2009 Spring in TOKYO出展
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平成21年7月 |
熊野華祥苑 紙屋町店オープン
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平成23年1月 |
熊野華祥苑 紙屋町店「平成22年度 いい店ひろしま顕彰事業」受賞 詳しくはこちら
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プレスリリース
企業理念・社長ご挨拶
熊野の筆は、私たちの誇りです。
170余年もの歴史の中で、日本はもとより、世界に認められるためのあらゆる筆づくりをしてきました。
熊野に生まれ育った人は、幼いころからそれを知っていました。
熊野の女性たちは、自分自身のお化粧に化粧筆を使っていました。
なんの疑問も抱かずに・・・。そしてあるときに気づいたのです。
「ほかの女性たちは知っているの?」 この筆の存在を・・・。
私たち華祥苑は、女性たちに「きれいになる為の道具としての化粧筆」を知っていただきたいと思っております。
誇りと愛情をもって、より多くの方々に知っていただくことを使命と感じております。
伝統や匠の技を、あなた自身のために使っていただきたい。
それが華祥苑の思いです。

創業明治16年、曾祖父である高本庄蔵から始まり、私で6代目となります。
今日まで、120余年もの間、様々な時代背景の中、様々なことがたくさんありました。が、今、 まさに弱小者の私が、皆様のお力添えをいただきながら引き継がせて頂いております。
そして、この筆づくりという地場産業を後世に継承すること。これこそが、私の生涯の大き な課題であると思っております。
と同時に、小さいながらも JAPAN BRAND を世界に向けて発信する会社のひとつとして、 日本人としての誇りを持って歩んでいきたいと思っております。
その為には、私どもは、製造から一お客様のお手元に届くまで、更には、 届いた後のアフターサービスまで一貫した姿勢でものづくりをすることを日々の目標に掲げ、 従業員一同、精進し続ける努力をしてまいります。
また、環境、品質、サービスの向上に努め、「何をもって社会に貢献できるのか?」「お役に 立てたり、喜んでいただけることは何なのか?」と常にお客様を第一に考え、お客様に育ててもらえる会社にしていきたいと思っております。
明治16年(1883年)より6代目 株式会社 華祥苑 代表取締役社長 高本 祥子
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採用情報
履歴書・職務経歴書(写真貼付)を郵送又はE-mail で下記へご送付ください。
書類選考の上、追ってE-mail にてご連絡いたします。
応募書類の他、必要に応じてレファレンスの提出をお願いする場合がございますので、予めご了承ください。
応募書類は返却いたしませんので、予めご了承ください。
広島県広島市中区住吉町16-20(〒730-0813)
株式会社華祥苑 人事採用部門
E-mail : info@kashoen.jp
社長プロフィール
筆の町、広島県安芸郡熊野町にて、昭和37年に生まれる。
実家は、120余年前明治16年(1883年)に曾祖父にあたる高本庄蔵により熊野町において製筆販売業を創業する。
その後大正5年頃より2代目高本 正により洋画筆・化粧筆の製造に着手し、昭和35年3代目にあたる高本正の長男高本琢史と次男で私(高本祥子)の父でもある高本正浩で株式会社高本製作所を設立し、法人化とする。
主となって営業に携わっていた父(高本正浩)は、国内販売のみならず、昭和30年代後半より商社経由で海外への輸出を始め、戦後の企業インフラのない時代に筆製造の関連資材(穂先、口具、軸等)の指導にあたる中、度々欧米諸国に渡航し、世界に通用する商品づくりを行い、信頼される日本の筆の工場として、固定相場から変動相場にかわっていく中、欧米各国への画筆・化粧筆の直輸出が始まった。
それ以降、国外販売は、世界の名だたる画材メーカーや世界トップクラス化粧品メーカー等々に向けてOEM(相手先ブランドによる生産)として卸されていき、筆の売上は国内販売を上回るほどに成長をしていったが、4代目(高本正浩)の長男5代目高本尚秀が社長となった平成9年以降には、本来の筆事業以外において長年の間に作られた負の遺産が常に足を引っ張り、遂に、平成17年2月に121年の歴史を閉じることとなった。
幼少の頃より、父の筆に掛ける情熱を常に聞かされていた私(高本祥子)は、かねてより父や兄(高本尚秀)に自社ブランドの製造を提案したが、「お得意さま(すべてOEM生産)あっての商売だからこそ、自社ブランドを立ち上げることは絶対にしない。」という。
しかし、筆屋の娘に生まれながら、自分の自由になる筆は一本もないのがこの時の状況で、何とか一人でも多くの人たちに熊野の筆の良さを知って貰いたいという思いから、平成14年4月に独立した会社、株式会社華祥苑を設立。
この時点では、㈱高本製作所にOEM(華祥苑ブランド)で製造してもらい、それを仕入れ、販売をしていたが、平成17年2月の㈱高本製作所の倒産に伴い、多くの長年のお取引先の筆の供給がそこでストップしてしまうという状況を回避するために製造事業を引き受けることを決意、その時より現在に至っては、熊野町に化粧筆及び画筆の製造工場を置き、父の代より長年筆の製造に携わっている熟練した職人たちとともに、父親の熊野の筆に掛ける情熱を引き継ぐべく、日本の伝統と文化そして日本人としての誇りと感謝の気持ちを継承しつつ、日々頑張っております。






